生酛・山廃造りの良さは何か5
前々回に続いて 麻井宇介 吉田集而 の対談を掲載します。
麻井 端的にいえば、これはウイスキーのカテゴリーにグレイン・スピリッツが乗り込んだ事件です。その為には、グレイン・スピリッツをウイスキーと読みかえる手続きが必要でした。いわゆる「ウイスキーとはなんぞや」論争です。これを契機にスコッチウイスキーは「文明化」の道を走りだすんですね。ただし、文明化は議論によって始まることではありません。スコッチの場合、連続式蒸留機の発明が起点です。そして1860年代にはスコットランドの地酒が都市マーケットへ進出するシナリオは、ほぼ出来上がっていたのです。
ついでに申しますと、ビール醸造の近代化は1880年代に始まります。レンデの冷凍機とハンゼンの酵母純粋培養法という二つの技術が応用できるようになったからです。それ以降は「文明化した酒」という文脈でみてまず間違いない。スコッチはグレイン・ウイスキーを得て比較的早くから世界市場に進出します。日本にも明治4年にカルノー商会がウイスキーを輸入した記録があり、1870年代にはロンドン・ドライ・ジンとともに海外でその名が知られるようになりました。ところがジンとは対照的に、スコッチは「文明の酒」という画一性とは一線を画し、スコットランドの「文化」だというイメージをずっと保ち続けることに成功します。それは多士済済のシングルモルトがあったからです。
吉田 ワインはどうですか。
麻井 ワインの場合は文明化が非常に遅れて始まる。それは、ワインがある程度経験的に造れ、差し迫った不具合がなく、醸造技術の支援が不要だったからです。パスツール以降の微生物学の知見が伝統的醸造法に影響を与える場面も少なかった。スケールアップはあったけれど、造りの面で技術が全面にでてくることはほどんどなかったんです。それが、第二次世界大戦後、1960年代から、発酵技術に純粋培養酵母を使うとか、あるいは果汁を酸化させないようにするという提案が出てきて、積極的に新しい商品を造っていく。ドイツのフレッシュ&フルーテイーでやや甘口のスタイルが技術革新の第一幕でした。当時は技術が関与すればこんなにいい酒ができるのかと思はせた。それ以降、例えば、木製の醗酵桶がコンクリートやFRP(ガラス繊維で強化したプラステック)やエナメルライニングした鉄製タンクそして最終的にはステンレスに変るとか、密閉型の圧搾機とか、たくさんの試みがおこなわれてきた。温度コントロールが自在にできて、微生物学的にいえば完全にサニテーションできるようになった。理詰では満点の方向です。
吉田 日本酒でやった事とまったく同じ方向ですね。
麻井 そうです。その方向で60年代からやってみて、生まれてくるワインに造り手はなにか納得できなかったのでしょう。これ変なんじゃないのと感じはじめて70年代の終わりには総括できていたと思います。伝統ある産地はかってすごいワインを造っていた。その造った品物や体験をもっている人たちが、良かれと思って作ったワインに対して手ごたえを感じなかったからです。それはなぜか。複雑性を単純化したからなんですね。サニテーションを徹底するという事で、チョンボはなくなったかもしれないが、複雑さを失った。
吉田 日本酒でおこったこととまさにパラレルな現象だと重います。ところが、日本酒の場合はそれに気ずかずに今まで来てしまった。今の方法はある意味ではたいへん重要なことですから、それを全く否定するわけではありませんが、多様性を失ってしまった。そのツケは大きい。かってうまかった酒はどこにいったのか、それに応えることをメーカーはせざるを得ないのではないのでは。
麻井 清酒が戦後、四季醸造をはじめ大規模化していく。これは19世紀の終わり、ビールがやったこととパラレルな現象なんですね。ところが、ビールはそのまま支持されていく。というのは、ビールは「水」という要素が強くて、味わいの部分に関しては清酒ほど飲み手側の強い要求がなかった。ビールに対してはより寛大だったと思います。
吉田 ワインはそれがより一層厳しかったと・・・・
麻井 だから、ワインは態勢の立て直しが非常に早い。装置や技術ではなく、ブドウという根本に戻っていきます。合理性より実感が優先するんですね。伝統的な技術、というより「腕前」のしたたかさです。非科学的だと思われるかもしれませんが・・・・