生酛・山廃造りの良さは何か5
「生酛・山廃造りの良さは何か」というテーマで 麻井宇介 吉田集而 の対談を4回ほどに分けて掲載しました。
対談のとおり御二人とも現代の酒造りの方向性に批判的です。
日本酒はかって微生物の「森」でつくられていたが、現代の酒造りは純粋培養技術を中心とした技術により「純林」になってしまった。と感じています。「酒の微妙さというのは、見えない色々な微生物によるものでしょう。それを自然科学を利用してやっていった結果、やや「純林」的なものになってしまった。」
「日本酒の場合、吟醸酒をピラミッドの頂点において、これが極致だと造り手も飲み手も思い込んだかもしれないけど、そのことを一度ご破算にしないと、日本酒の可能性を自分で閉ざすことになってしまうんじゃないかと思います。」
「どんなお酒でも「感銘」を与えるか与えないかという一点に議論をしぼれば、科学的に合理性を追求した酒に、必ずしも感銘の深さはないんですよね。感銘の深さというものには、いかに複雑であるか、いかに調和がとれているか、どういった独自のスタイルを持っているかといったことが関わってくる。」
といったようにサニテーションを完璧にした環境で純粋培養した酵母以外の微生物をできる限り排除してして造る酒の味わいに疑問を呈しています。
ワインの場合1960年代に純粋培養酵母やステンレスタンクの導入など現代の日本酒と同じ事がおこりましたが、「その方向で60年代からやってみて、生まれてくるワインに造り手はなにか納得できなかったのでしょう。これ変なんじゃないのと感じ始めて70年代の終わりには総括できていたと思います。伝統ある産地はかってすごいワインを造っていた。その造った品物や体験をもっている人たちが、良かれと思って造ったワインに対して手ごたえを感じなかったからです。それはなぜか。複雑性を単純化したからなんですね。」
といったように酒造りでは技術を使った管理が必ずしもいい結果ばかり生まない事を指摘しています。
現在の純粋培養吟醸酵母1種類、せいぜい2種類をブレンドして醗酵させ、他の微生物をできる限り排除した環境が望ましいと考える清酒醸造で造られる酒は、確かにきれいな味わい、良い吟醸香など技術の結果として実現できたおいしさがあります。これも、もちろんおいしいのですが、いろいろな微生物をからめて造られる生酛・山廃・菩提酛の酒には、これとは少し異なる味わいの深さ、おいしさがあると思います。